fwssのえっさんブログ

「えっさん」は、呼ばれていたニックネーム。「ファミリーワゴンSS」車のエスにもかけました。

島根県立万葉公園と柿本人麻呂(6)

 前回の終わりで触れたように、今回は柿本人麻呂の長歌の一つを載せ、その意味を探し出してみます。

 益田市にある、島根県立万葉公園に記されていたものを載せます。これで、読めるので、書き写さず、意味の方を検索し書き写します。

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 この意味を探し出しましたが、一つの文章ではありません。

意味

石見の海(島根県西部地方の海)の海岸を 良い浦(波が静かな入江・浜辺)がないと人は見るだろうが 良い潟(ひがた)がないと人は見るだろうが 

浦などなくてもかまわない 潟などなくても 私にとってはかけがえのない所

この海辺を指して 和多豆(地名)の岩場のあたりに 青々と生えた玉藻や沖のの海藻

は 朝、鳥が羽ばたくように波が打ち寄せ その波とともに あちこちに寄ったり こ

ちらに寄ったりて、そんな美しい海藻のように、私に身をなびかせて 共寝した妻を 

置いて来てしまった

今 都へ向かい歩いている この山道の曲がり角ごとに 何度も何度も 振り返ってみ

るけれど 本当に遠く離れてしまって 里も遠ざかってしまった

いよいよ 高い山も越えて来てしまった

物思いに萎ねるようにして 妻は私を偲んでいるだろう

私は 妻と暮らした家の門口を眺めたいので 地に伏してくれよこの山よ

 

 妹とは、石見の国と石見の風土の中で育った「依羅娘子(よさみのおとめ)」だと言われています。柿本人麻呂は、依羅娘子をこよなく愛し、ともに交わした歌は、雄渾格調高くロマン溢れる歌「石見相聞歌(いわみそうもんか)」と呼ばれる作品群として万葉集の中に残されています。日本の和歌史上、初めて個の叙情が誕生したのは、人麻呂が石見で歌った「石見相聞歌」の中だとの説があります。‥と、記されている文書があります。

相聞歌とは 互いに相手のようすを尋ねること。消息を通わせ合うこと。

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この写真を撮った時点では衣羅娘子とは?という感じでした

 こうした長歌の内容・意味は、この長歌と前回紹介した、反歌や短歌との関係で成り立っているのだと思います。