以前、島根県益田市の県立万葉公園を、訪れることがありました。
写真の「柿本人麻呂が詠んだ歌35首を歌碑として配置」してある、「人麻呂展望広場」に行ったことから、柿本人麻呂の歌を検索してみるようになりました。
読み
去年(こぞ)見てし秋の月夜(つくよ)は渡れども相(あひ)見し妹(いも)はいや年さかる
番号は
巻二(二一四)です。
意味
去年見た秋の月は今年も夜空を渡るけれど、ともに月を見た妻は月が経って、さらに遠ざかってしまった。
解説
この歌も、柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)が、妻の死を哀しんで詠んだ挽歌で、巻二(二一三)の長歌に付けられた反歌の一首。
だそうです。
柿本人麻呂の名は、時代の移り変わりで、「人麿」、「人丸」、「朝臣人麿」などと、呼ばれる。
解説でも、「妻の死‥」とありますが、妻とは衣羅娘子(よさみのおとめ)で、住んでいたのは、島根県石見(西部)地方の現在の江津市であるという説もあります。
また、柿本人麻呂が亡くなったのも、石見地方で現在の益田市だという見方もあります。
次回は、今回の反歌が付けられた長歌か、柿本人麻呂の終焉の地などを、検索し紹介したいと思います。