fwssのえっさんブログ

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石見地方と柿本人麻呂(15)

 以前、島根県益田市の県立万葉公園を、訪れることがありました。

 写真の「柿本人麻呂が詠んだ歌35首を歌碑として配置」してある、「人麻呂展望広場」に行ったことから、柿本人麻呂の歌を検索してみるようになりました。

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読み

 去年(こぞ)見てし秋の月夜(つくよ)は渡れども相(あひ)見し妹(いも)はいや年さかる

番号は 

 巻二(二一四)です。 

意味

 去年見た秋の月は今年も夜空を渡るけれど、ともに月を見た妻は月が経って、さらに遠ざかってしまった。

解説

 この歌も、柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)が、妻の死を哀しんで詠んだ挽歌で、巻二(二一三)の長歌に付けられた反歌の一首。

 だそうです。

 柿本人麻呂の名は、時代の移り変わりで、「人麿」、「人丸」、「朝臣人麿」などと、呼ばれる。

 

 解説でも、「妻の死‥」とありますが、妻とは衣羅娘子(よさみのおとめ)で、住んでいたのは、島根県石見(西部)地方の現在の江津市であるという説もあります。

 また、柿本人麻呂が亡くなったのも、石見地方で現在の益田市だという見方もあります。

 

 次回は、今回の反歌が付けられた長歌か、柿本人麻呂の終焉の地などを、検索し紹介したいと思います。

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島根県西部:石見地方の地図