「石見相聞歌」を検索してみると、このように書かれているものがあります。
石見の国と石見の風土の中で生まれ育った依羅娘子をこよなく愛し、ともに交わした歌は、雄渾で格調高くロマン溢れる歌「石見相聞歌」と呼ばれる作品群として万葉集の中に残されています。日本の和歌史上、初めて個の叙情が誕生したのは、人麻呂が石見で歌った「石見相聞歌」の中だとの説があります。ーーと。
上記で出てきた「石見」とは、島根県の西部地方の呼び名で、「石見(いわみ)地方」と呼ばれます。「衣羅娘子」とは、柿本人麻呂 が愛した石見の女性です。
前回、その「柿本人麻呂」が、詠んだ「終焉の歌」と、「終焉の地」を紹介し、その説の一つである益田市の柿本神社を紹介しました。高津の鴨島説です。
その根拠となっている、前回紹介した終焉の歌に「鴨山」という地名がでてきます。
柿本人麻呂が亡くなり、衣羅娘子が詠んだ歌の意味は、「直に逢うことはもう出来ないでしょう。せめて石川に雲となって立ち渡ってください。それを見ながら貴方を偲びます」ということだそうです。
ここでも、「石川」という地名がでてきます。この「鴨島」と「石川」という地名から、終焉の地は、「浜田市」だという説もあります。
以前、浜田城跡を訪れた時に、次のような説明板がありました。「鴨島」と「石川」が、終焉の地 の根拠の一つだとされています。
前回も記しましたが、終焉の地と言われる地は、他にもあります。そこへ訪れる機会があれば、また掲載したいと思います。