柿本人麻呂の終焉の地と生誕の地
終焉の地
次の地図は、島根県西部の石見(いわみ)地方を示しています。○○説とは、歌人・柿本人麻呂の「終焉の地」と言われる4箇所です。
このブログでも前回と前々回で、益田市(鴨島説)と浜田市(鴨山説)と、それぞれが「終焉の地」とする説明板を掲載しました。
以前、江津市も紹介しましたが、「終焉の地(神山説)」としては、取り上げてはいません。また、邑智郡美郷町の湯抱説は、その場所を訪れてもいません。
今後、訪れる機会があれば、紹介していきたいと思います。
生誕の地
今回は、「生誕の地」を紹介したいと思います。
その場所は、「終焉の地」としても登場した益田市にある戸田という地域です。JR山陰本線の益田駅から1駅西側に戸田小浜駅があります。その駅舎横にも「生誕の地」とする石碑が設置してありました。説明板で生誕の地は、「戸田小野」と書かれています。
これから、益田市戸田町に設置してある石碑や案内板を掲載します。
戸田柿本神社
人麿遺髪塚
検索してみると、この「人麿遺髪塚」は、「戸田柿本神社」の宮司である綾部家の敷地内だそうです。そして、「‥3世紀この地方に大和から小野族が移り住んだ。この時、柿本 氏も移住し 人麻呂の祖と なるという。宮司の綾部さんも共に移住し、代々社家守ってきた。この綾部家の女性と柿本家の男性との間に生まれたのが、人麻呂 という‥と書かれてありました。
生誕地は、他に奈良県葛城市などの主張もあるようです。