柿本人麻呂 没後1300年 山陰の万葉ゆかりの地巡りは、鳥取編の(4)因幡国庁跡になりました。
この山陰の万葉ゆかりの地巡りをするきっかけとなった、年始に見た紙面には、鳥取県側は、下掲の5箇所が記されてありました。
(1)「大山」、(2)「伯耆国庁跡」、(3)「三徳山」、(4)「因幡国庁跡」、(5)「因幡万葉歴史館」です。その「因幡国庁跡」は、下掲の赤い囲みの場所です。
前回も記しましたが、「柿本人麻呂没後1300年」と、紙面に記載してある「山陰の万葉ゆかりの地」が、直接はつながっていないません。柿本人麻呂と関わりがあるとされるのは、島根県の石見地方です。島根県の出雲地方や、鳥取県は、柿本人麻呂とではなく、「万葉ゆかりの地」として、つながっています。そうなると、ゆかりの地は、この紙面に掲載されている場所だけに留まらないこととなります。
島根の石見地方は、柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)、出雲地方は、門部王(かどべのおおかみ)、伯耆地方は、山上憶良(やまのうえのおくら)、そして、今回の因幡地方は、大伴家持(おおとものやかもち)などの「万葉集」に出てくる歌人や、詠われた歌等と関係していると思われます。