11月6日の朝、7時40分頃、お母(義母)さんが
入院していた病院から、「容体急変」との連絡
が入り、慌てて二人で病院へ向かいました。
しかし、病室へ到着した時には、既に息を引き
取られていて、死に目に会うことは、叶いませ
んでした。
この病院へ、入所していた施設から、9月6日に
入院となりましたが、コロナ禍で一度も面会す
ることはできませんでした。
入院前の施設へは、介護度が上がったため、他
の施設から、今年4月13日に転入したのですが、
介護施設でも、市内で感染者がでると、当分の
間、面会することはできない状況でした。
ですから、今年に入り数回しか、面会できず、
入院以降、まったく面会することがきなかった
ことは、前記した通りです。
面会ができずとも、退院できたのなら、まだし
も、今回のように死に目にも会えなかったため、
妻の落ち込み様は相当なものでした。
容体急変の連絡から、急いで向かった病院では、
妻の腰痛がひどくなり、車椅子を借りたくらい
です。
翌日の通夜も決まり、お母さん(遺体)を、葬
儀会場へ移してから、整形外科医院で痛み止め
の注射を打ってもらいましたが、その痛みと悔
いは残ったままでした。
その悔いを少し晴らしてもらえたのは、納棺に
立ち会い、死装束(しにしょうぞく)の着付け
のお手伝いや、納棺後お母さんへの死化粧(し
にげしょう)を妻に行わさせていただいたこと
だったと、近くから見ていて、そう感じました。
生前中、お母さんの希望であった家族葬の喪主
の挨拶で、これまでに記した一連の様子を、お
話させていただきました。
併せて、お母さんが晩年、入退院を繰り返しな
がら、病気や怪我と闘い続け、人生を全うされ
たことも具体的に報告させてもらいました。
そして、集っている身近な人達が絆を深め合い
ながら、これからの人生を、お母さんのように
一所懸命、頑張って生き抜いていきましょう!
と締めくくらせていただきました。
お母さんとの面会ができず、死に目にも会えな
かった、コロナへの憎しみの一方、故人に近い
人達だけで、お母さんへの想いを大切にしなが
ら、見送ることができたことの良さを、集った
者達が感じられた家族葬でした。