柿本人麻呂の歌を取り上げるきっかけは‥
以前、案内板に惹かれ、島根県益田市の万葉公園を訪れたことが、柿本人麻呂の歌を取り上げるようになったきっかけです。その公園の石や板に柿本人麻呂の歌が刻まれたり、記されていたものを、カメラへ収めていました。
このシリーズで、訳もわからず、一番始めに取り上げ、検索したのが、次の歌です。
新たな気づき:歌に番号が‥
前回、触れたように、それぞれの歌へ番号が付けられています。例えば写真の歌は139 です。「その番号がどうして付けられているのか? 今度検索したい」とも記しました。そこで検索したものを記載します。
国歌大観とは‥
1901年から1903年にかけて『国歌大観』が刊行。
これによって、『万葉集』、※二十一代集、物語などに出てくる和歌が、いずれの国書に出ているものかを、たちどころに知ることができるようになった。国書ごとに掲載されている、すべての和歌には番号が付けられている(国歌大観番号)。
※二十一代集 とは、「勅撰和歌集」は、天皇などの命により編簿された歌集のこと。「古今和歌集(905年)から「新続古今和歌集(1439年)」まで21の勅撰和歌集があり、それらを「勅撰二十一代集」と呼ぶ。
1925年から1926年に『続国歌大観』が刊行。
新編国歌大観とは‥
1983年から1992年にかけて、角川文庫から「新編国歌大観」が刊行。
ただし、『万葉集』については、巻3-236以後が旧番号とは異なっている。これは、収められた4首の漢詩にも通し番号を付してしまったためである。『万葉集』収載歌は、4536首が通説だが、『新編国歌大観』の最終番号は、4540となっている。そのため「国歌大観番号」と「新編国歌大観番号」とに呼び分けられることがある。
と記されています。
写真の短歌:反歌と長歌の関係は‥
前記の写真の歌の番号は、139 だと記しました。それではその前の番号138は、どういう歌かというと、このシリーズの(6)に載せた長歌でした。今回の写真の歌 138は、その長歌の反歌だそうです。
こうした番号によって、歌と歌との関係性などが、格段に分かりやすくなったのだと思います。
その長歌の写真は、再掲しておきます。また、その意味などは、「‥柿本人麻呂(6)」を転載しておきます。