思いつきで始めたシリーズです。
今は「石見地方と柿本人麻呂」とし、「自分の勉強になれば‥」と進んできています。
始めたものの、あまりにも、歴史や奥が深くで、困っています。でも、勉強になっていることは確かです。
前回は、長歌と反歌の関係を検索紹介しながら、2つあるうちの1つ目の反歌を載せました。検索していくうちに、それぞれの歌に番号が付けてあり、それが気になってきました。
これについては、次回検索したいと思いますが、前回も紹介した長歌が 135 で、2首ある反歌の1つは 136 と付けられています。
今回は、2つ目の反歌で 137 です。
意味
秋の山に 散るもみじ葉よ しばらくは 散り乱れてはくれるなよ 妻の辺を見たいから
反歌2首目のこの歌も、柿本人麻呂が、赴任先の石見(島根県の西部地方)から大和へ戻る時の 長歌(巻2-135)に付けられた2首の反歌の1つ。
検索すると、この歌を以下のように捉えられたものがあります。
「長歌の内容の散り乱れる様子を切り取って詠っていますが、普段なら美しい情景として見る黄葉もこの時の柿本人麻呂には石見の家に残したきた妻や子の姿を見えなくしてしまう隔たりとして感じられたのでしょう。「な取り乱ひそ(散り乱れないでくれ)」との願いの言霊が切実で、そこからつながった結句の「妹があたり見ぬ」に至ってはもはや言葉というものを越えた心そのものの表出ともいえる力の強さを感じます」と。
ああ~、そんなふうに捉えるのか~、と感心します。